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イギリスの大学院で修士号取得後、10年以上、学校・塾向け教材出版社に勤務し、教育現場の「表」も「裏」も知り尽くした、アラフォー男子の教育に関するブログ

【2017年度版】小学校3年生からの英語必修と、TOEFLが大学入試センター試験に採用されることについて。

英語教育

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小学校英語の導入に関しては、江戸時代末期の「開国か鎖国か」の議論さながら、賛成反対意見が真っ二つに分かれている様相を見せています。

 

賛成意見の多数は 、海外で生まれ育ったバイリンガルを例に取り、言語学習は早期学習が効果的だと主張します。そして反対意見の多数は、外国語よりも母国語をきちんと学んだ上でないと意味がないと主張しています。

 

実は、私はどちらの意見にも賛成です。賛成派が言うように、言語学習は圧倒的に早くから始めた方が有利です。ピアノやサッカーと同じです。小さいときから始めた人と、中学生から始めた人とでは、ごくごく一部の天才か圧倒的に努力した人を除いて、小さいときから始めた人が有利に決まっています。

 

しかし反対意見が主張する、外国語よりも母国語をきちんと学ぶ方が先だという意見にも納得できます。そもそも「聞く」「話す」「読む」「書く」いずれの行為をするにせよ、そのトピックのことを理解していないと聞いても理解できませんし、そのトピックについて話すことも読むことも書くこともできません。

 

ただ、あえて言うのであれば「小学校で英語を必修化する」ことに対しては、断固反対NOと言えます。勘違いしないで欲しいのですが、「小学校から英語を勉強する」ことに反対しているのではありません。「教科として英語を小学校に導入する」ことに大反対なのです。

 

理由は大きく分けて3つあります。

1つ目は、週に1~2時限程度、英語を勉強しても意味がない。
2つ目は、学校現場が英語必修化に対応できておらず、技能教科のように「英語の授業を適当にやった」ことに済ます可能性が高い。
3つ目は、都市部と地方の教育格差が生まれる可能性がある。

 

まず1つ目の、「週に1~2時限程度、英語を勉強しても意味がない」ですが、「週に1~2時限程度、授業で英語を勉強する」だけで、英語ができるようになるわけがありません。そもそも英語の習得がそんなに簡単なものだったら、日本人は中学高校6年間英語を学んでいるので、英語が話せる人がもっと多いはずです。

 

中一からでは遅い、という議論も一部ではあるようですが、私は遅いとは思いません。問題は中学高校6年間で習う英語の質が低く、量も圧倒的に足りないからです。それを4年前倒しにして、中高6年から10年にしたところで大きな変化はありません。

 

もし変化があるのであれば、いまの中高生は小学校5年生から「外国語」という位置づけで英語を小学校で習っており、英語の早期授業化が正しいと実証できるはずです。そして何より、日本で生まれ育って、周りが日本人の環境にいるかぎり、海外で生まれ育ったバイリンガルのようにはならないことです。

 

国や文部科学省がどの程度の英語力を求めているのかは知りませんが、幼いときの周りの環境でバイリンガルになった人と、ある一定の年齢なってから外国語を努力して身につけた人との「壁」は存在します。まず、その「壁」を国や文部科学省は知っているのかどうか、知っている上で、どの程度の英語力をこれからの日本人(英語を必要としない人がいるにもかかわらず)に求めているのかが不明なのです。

 

すでに2008年から小学校5・6年生は「外国語」としての位置づけで、英語を授業で取り入れています。とりわけ、「話す」ことに重点を置いています。しかし現在、私が知っている範囲において、授業として成り立っているかは、はなはだ???です。

 

産経新聞2016年8月2日に次のような記事が載っていました。

「教科化に不安のある小学校教員のニーズを受け、英会話教室運営会社イーオン(本社・東京)が3月に指導法セミナーを開いたところ、参加者65人のうち英検準1級以上は4人にとどまった。英語が苦手だから小学校の教員になった、などの声も聞かれたという」

 

一部の小学校では、英語を教えられる先生がいて、担任の先生自らが英語を教えている、「希有」な例があります。なぜ「希有」なのか? そもそも小学校の教員免許を取るに当たって、英語の能力は必要とされていません。当然ですよね? 教科として存在していなかったのですから。

 

なお、日本英語検定協会の英語教育研究センターによると、外国語活動の担当者について、「学級担任」85.1%、「ALT」84.1%、「英語専科教員」12.4%となっています。(リセマム 小学校の外国語活動は「教員の指導力に悩み」あり 2016年5月8日)

 

「学級担任」85.1%となっていますが、私の知っている範囲において、ALTが授業を進めているとき、学級担任はALTの横に立っているだけです(いわゆる進行補助)。おそらくそれが、「学級担任」85.1%、「ALT」84.1%の実態です。

 

しかし、これは仕方のないことだと思います。小学校高学年の担任は、ベテランの先生がなることが多いです。それが突然、いままでまったくなじみのない英語の授業をやれ、英語を話せと言われても無理です。むしろ間違った変な発音を教えるよりは、国語や算数をやっている方がよほど効率的ですし、中学校の英語の先生でも「変なことを小学校で教えないで欲しい」と言っている先生はいます。

 

では、いったいどのような授業をしているのか? 私が知っている範囲では、ALTが自作したか、もしくは私物の英語カードを使って授業しているケースがほとんどです。そして、ALTが "Apple" や "Banana" といった単語を延々としゃべり倒します。45分の授業のうち、ALTが話している時間は35分くらい。子供たちが英語を話している時間は10分程度。1人10分ではありません。35人で10分です。

 

その程度の授業を週2回計90分やるのであれば、1日10分を5回で、計50分やったほうがよっぽど効果的ですし、また、その時間を高学年になると苦手な子が続出して、中学生になっても尾を引く、積み上げ教科である「算数」にあてた方が、よほどいいんじゃないかと思います。

 

数学は積み上げ教科なので、小学校でつまづいたらその時点でアウトです。そこが国語・社会・理科と圧倒的に違うところです。「小学校の先生はちゃんと算数を教えてきたのか」と憤慨している数学に先生に会ったことは、一度や二度ではありません。とくに小学校の先生は文系出身者が多いので、私も小学校の高学年になったら専科の先生をつけた方がいいと思いますし、「技術立国・日本」としては、英語よりはるかに優先順位が高いと思います。

 

話を英語に戻します。では、ALTが急な事情で休んでしまったら、いったいどうなるのでしょう? 当然、授業は成り立ちません。だって、授業で用いている英語カードや、その他のツールはALTの私物で、その私物を持ち歩いて同じ市内や区内の学校を転々とされ、授業を行っているからです。

 

そして、これまた問題なのがALTです。ご自身でネットで検索して欲しいのですが、先生としての質に???の方もいます。もちろん、非常に優秀で、情熱を持って、取り組まれているALTもいるでしょう。日本語はもちろん、日本の文化を一所懸命、学ばれているALTもいるでしょう。日本人の配偶者を持ち、日本に骨を埋める覚悟のALTもいるでしょう。ただ、中には非常に不真面目な方もいるのも現実です。特に、若い男性に多い気がします。いったい何しに日本に来ているのやら・・・。

 

ひょっとしたら、小中一貫校や、小学校と中学校が連携して、中学校の先生が小学校で教えている、かもしれません。都市部では比較的このケースが多いようです。しかし、中学校の先生は小学校と違い、「専科」であるため、中学校と高校の教員免許は持っていていても、小学校の免許も持っている人はそんなに多くいません(市区町村によっては特例を出しているかもしれませんし、頑張って小学校の免許も取られたのかもしれません)。

 

余談ですが、地方では中学校の「技術・家庭科」では、「免外」の先生が教えているケースがよく見られます。とくに家庭科は多いですね。たしかに家政系大学、もしくは家政学部を出て、先生になる人がどのくらいいるのかって考えると、必然的にそうなりますよね。

 

また、都心部なら人材も多いですし、移動も便利なので良いのですが、地方の学校は、学校から学校までの移動に車で1時間以上かかるところはざらにあります。中学校を教えて、そして急いで小学校……、先生、忙しすぎます(泣)。と言うより無理です。

 

最後の「都市部と地方の教育格差が生まれる可能性がある」についてです。先ほど、算数・数学は「積み上げ教科」で、そこが小学校で習う他の教科「国語・社会・理科」と大きく違うところだと書きました。

 

わかりやすく例を出しますと、仮に小学校の段階でまったく漢字が書けない・読めなくても、中学生や高校生になって、急に読書にはまって国語の成績が伸びることは大いにあります。現代国語が苦手でも古文や漢文が得意という生徒も大勢います。社会でも、地理は苦手だけど歴史が得意という生徒は大勢います(私がそうでした)。理科でも、化学は嫌いだけど生物は好きという生徒はたくさんいます(私はどっちも嫌いでした)。

 

ただ、「積み上げ教科」である算数・数学に関してはそれがないのです。基礎の足し算・引き算・かけ算・割り算ができなかったら、そのあとに進むことはできません。三角形の面積が解けなかったら、台形の面積が解けることはありません。円の面積が解けなかったら円錐の問題は解けません。

 

一度つまづいたら、それが後々ずっと尾を引くのが「積み上げ教科」の怖ろしいところです。おそらく、「授業について行けなくて学校が嫌いになっている」理由の8割は算数・数学だと思います。そして、小学校の「算数」から躓いているケースが圧倒的なんです。

 

半ば怒り、半ば呆れて「小学校からやり直してきてほしい」、「小学校の先生は何を教えてきたのか」と言っている中学校の数学の先生は、決して少なくありませんでしたし、「1の子はお手上げ。授業を邪魔しないよう、大人しく座っていてくれればいい」と言った先生もいます。利害関係のない出版社に向けて出た本音ですね。

 

でも、先生を責めることはできないと思います。授業をどんどん進めないと、文部科学省が定めた年間指導要領が終わらないのです。教科書を1年間で教えきることができなくなるのです。授業中に一人一人丁寧に教えることは不可能ですし、放課後に先生は部活の指導もあるので、そんな時間もありません。

 

学校教育とはあくまで、「文部科学省が定めた指導要領」を子供たちに教えるところです。そして「学力向上」というのは、指導要領を終えたときに、文部科学省が定めた学力になっているだろうという希望的観測です。

 

また、世間ではよく「小学校と中学校の連携」が盛んに騒がれてますが、同じ「義務教育」であるという接点をのぞくと、小学校と中学校に接点はほとんどないんです。管理職同士が面識があったり、お互いの卒業式や入学式に出席する程度のものです。むしろ中学校と高校の方が連携を取りやすいのではと思います。

 

中学校の先生は「専科」なので、高校の教員免許も取得されている先生は多いですが、全教科教えなければならない小学校の免許を持っている人は、そんなに多くありませんし、逆もまたしかりです。歴史的に見ても私立校で中高一貫が多いのはそのためです。

 

ですので、「英語の小中連携」と言っても、いままでまったく接点がなく、お互いどういう授業をやっているのかよく分からない者同士が、突然「連携して」効果的に英語教育をすることができるのか? という問題です。

 

これが、2008年から始まった「外国語学習」と称する、事実上の英語教育がまったく効果をあげていない理由の一つです。つまり、小学校で「話す」ことを中心に英語を教えたとしても、中学校に入学後はいままでのやり方にもどるので、そこでチャラになるのです。

 

そして順序が逆になりましたが、数学ほどではないにせよ、英語もおそるべき「積み上げ教科」なのです。中学1年生のときに、be動詞と一般動詞をごっちゃに理解したら、そこから先へは進めません。日本の「学校英語」はそういう仕組みなのです。英語でも中1の後半や中2の時点で、授業についていけていない生徒は大勢います。

 

実はこれが、私が小学校英語の導入に猛反対している最大の理由です。文京区や品川区といった都心部の一部の学校では、すでに小学校1年生から英語教育を行っている公立の小学校もあります。もし、英語教育が事実上ほとんどされていない小学校から転校して来た5年生や6年生の子どもは、間違いなく授業について行けないでしょう。

 

そのとき、学校は責任を取るのでしょうか? 授業についていけるように、必要な補習をするのでしょうか? 「機会の公平」を掲げる公教育が、地域間による恐るべき教育格差を生み出そうとしているのです。

 

また、英語塾をしている私がこんなことを言うのも何なのですが、2020年から大学入試センター試験のかわりにTOEFLを導入することも、「機会の公平」という観点から言うとあまり好ましくないです。というより個人的には反対です。というのも、TOEFLは普通の高校生3年生が受けるには難しすぎるんです。

 

TOEFLはそもそも非英語圏の学生がアメリカの大学に留学するために、その学生が必要とされる英語力があるか否かを判断する試験です。本屋さんでTOEFL関連コーナーに足を運ばれた方は分かると思いますが、単語ひとつとってもその難易度や習得すべき数は大学入試の比ではありません。ちなみにイギリスや旧イギリスの植民地の大学はTOEFLではなくIELTSです。私もIELTSの勉強をしましたが、はっきり言ってかなり難易度は高いです。

 

たとえば、中学高校6年間で習う単語は約3000語(次回学習指導要領から4000語)ですが、TOEFLでは最低限6000語は必要と言われています。いわゆる難関大学と言われている日本の大学では6000語ほどの単語力が必要になりますが、TOEFLで高得点を出すには約10000語は必要です。

 

また、長文にしてTOEFLで出てくる長文の長さと内容の難易度は大学入試の比ではありません。「読む」だけでもいままでの大学入試の2倍は勉強しなくてはならないのに、その上で「書く」・「話す」ことが求められているのです。では、学校現場はそれに対応できているのでしょうか? 

 

朝日新聞2016年2月27日に興味深い記事があります。
「英語の教職課程はこれまで統一的な指針がなく、大学によってまちまち。4技能のうち、取得単位が英米文学など『読む』に偏っている学生もいるという。2014年度の文科省の調査では、英検準1級程度以上の現職教員は、公立中で28・8%、公立高は55・4%。17年度に中学で50%、高校で75%にするという国の目標を大きく下回っているのが現状だ」

 

たしかに職員室や学校現場で、ALTと英語で会話している英語の先生を見かけることは非常に「稀」でしたし、私自身が英米文学科卒なのでそこらへんの事情はよくわかります。

「英米文学科は、英米文学を勉強する学科で、英語を勉強する学科ではない」
「法学部だってみんな弁護士試験に受かるわけじゃない」

よく英米文学科の学生はこの言い訳を使ってましたし、いまでも使っていると思います。

 

はっきり言って中学高校の英語の先生で、TOEFLで高得点を出せる先生は少ないです。先日の京都新聞でも「英語教員、TOEIC“合格”2割 京都府中学『資質』はOK?(2月10日)」という記事がありました。

 

で、ここで問題になるのは、英語の先生ですら高得点を出せない試験を大学入試センター試験にすることについてです。おそらく、他の教科の先生であれば、大学入試センター試験程度の問題はみんな余裕で解けます(そのはずです)。しかし、英語ではそれが該当しないのです。

 

国はTOEFLを大学入試に導入することにあわせ、2020年から小学校3年生に英語を必修することを決めましたが、かなり現場の実態を無視している決定であり、インターナショナルスクールや私学、そして英語塾が溢れている東京や大阪といった大都市の学生、たまたま英語ができる先生に当たった学生に有利な状況になることが予想されます。

 

もちろん、現行の大学入試センター試験の英語テストや英語教育にも問題点は多々あります。しかし突然、TOEFLにするというのも少し飛躍しすぎではと懸念しています。

 

英語塾をやっている私がこんなことを言うのも何ですが、いっそのこと英語は大学入試からいったん外して、あまった勉強時間で文系理系問わず、国語・社会・数学・理科を必修にしたほうが良いのではと思います。中学・高校で必修となっている技能教科も大学入試にはありませんので可能なはずです。

 

そして文科省が各大学に対し、大学卒業時にTOEFLやTOEIC等で○○点以上取る必要がある(学校や学部によって異なる)と指導した方が、「公教育の機会の公平」という観点からは望ましいと思います。何より、「戦後最大の教育改革」が行われようとしている中、過渡期の学生が不利益を被ることがないように最善の注意を払う必要があると思います。

 

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